2017年03月12日

協力ゲーム戦犯問題

私は協力ゲームが好きである。



協力ゲームとは
参加したプレイヤー全員が一つのチームとなり、
ゲームから出された課題を解決することを目指すゲームである。

全員が一つのチームであるため、
勝ち負けは常に「全員勝ち」か「全員負け」のどちらかとなる。



協力ゲームというジャンルはずいぶん前からあるようで、
有名なゲームを挙げるだけでもその歴史を感じられる。

そして、協力ゲームの歴史は「奉行問題」との闘いの歴史であったようにも思う。






代表的な協力ゲームとしてまずは「指輪物語ボードゲーム」を挙げたい。








このゲームはかの「ライナー・クニツィア」が作った協力ゲームである。
非常にオーソドックスな作りで綿密な計算のもとに素晴らしいバランスでデザインされている。

とてもよくできたゲームであるが奉行問題を顕著に孕んだ作品でもあった。


奉行問題とは

協力ゲームにおいて
「ある特定の一人がリーダーとなりほかのプレイヤーの行動までもすべて指示してしまう」
という行為によって発生する問題である。

この行為の何が問題となるか。
それは指示された行動をするだけになってしまったリーダー以外のプレイヤーの
「ゲームの楽しさを奪ってしまう」からに他ならない。

そして厄介なのが”協力ゲームにおいてそれが最善手であることが多い”のだ。

誰かがリーダーとなりお奉行様のように命令だけして
ゲームには勝利するが面白くなくなってしまう……

それが奉行問題である。



この指輪物語も誰か一人がリーダーとなることで勝利する確率は非常に高くなる。
その一人が経験者だとより顕著だ。自動的にそういう状況になってしまうケースもある。


プレイヤー側である程度気を付けることで回避できるが、
ゲームデザインを考えたときにやはり見逃すことが出来ない問題であった。




他のゲームに目を向けるとこの問題を解決しようとしていることがうかがえる。


次に紹介したいのは「キャメロットを追う影」である。
こちらも円卓の騎士をテーマにした代表的な協力ゲームだ。







このゲームの特徴的なところはプレイヤーの中に「裏切り者」がいるというところだ。

裏切り者がいるという構図はそのまま奉行問題を解決してしまう。

つまり、「リーダーが裏切り者だったら勝てない」からだ。
どこまで信用して指示に従っていいのか?従うべきか?という意思決定が発生し、
誰か一人がリーダーのようにふるまったとしても最善手ではなくなる。



ただ「裏切り者が居たらもはや今日りょっくゲームではない」という意見もあるだろう。


私もそう思う。




他のゲームを見てみよう。
近代協力ゲームの火付け役であり、爆発的な人気を誇った作品。

「パンデミック」である。








ウィルスを撲滅するボードゲームで、
そのテーマ性とマッチしたカードの動きが特徴的な素晴らしいゲームだ。

発売する年を間違えなければ年間ゲームショウ間違いなしであっただろう。


非常に人気のゲームだが、
この作品は完全には奉行問題を解決してはいない。

「手札を見せてはいけないが言ってもいい」といったゆるい拘束とともに
「特定の場所で落ち合わないとカード交換ができない」等コミュケーションを促す仕組みになっていた。

手札を見せないことでリーダーが発生したともしても
他のプレイヤー側から意見を言う機会を与えており、問題が発生しにくい環境を作ろうとしている。


しかし完全ではなかった。



このパンデミックもこと「経験者」と「初心者」がチームで混ざると
途端に経験者の言いなりになってしまう。
むしろ手札を見せられないのが煩わしいと思えてしまうほどに。



ただパンデミックは偉大だった。

それ以降に多くの協力ゲームが世に出ている。
そして非常に積極的に奉行問題に取り組んでいるように見える。



まず紹介したいのがこの「スペースアラート」である。




スペースアラートはオンボロ宇宙船の乗組員となり
宇宙の脅威と戦いながら宇宙空間の調査をするゲームである。

なんとこのゲーム。コンポーネントにCDが入っているのだ。

CDをかけ、その指示に従いながらプレイするゲームとなっている。

画期的なのは時間制限があるところである。

この時間制限があるせいで、誰か一人がリーダーシップをとって指示したとしても
十分に場を理解していなかったり全員に指示する時間がなかったりと不完全なものになってしまう。

時間制限があるだけで全員が自分自身で最善手を考えてプレイするようになるのだ。
そしてゲームとしてクリアするためにはむしろ「リーダーが必要」となる。
それぞれが考えた意見をまとめて、こうしようと決断する役が必要なのだ。
そうしないと話し合うだけで時間が無くなってしまう。

完全に奉行問題を解決したゲームといってもいいだろう。

この流れは同じくCDが入っているゲーム。「エスケープ」にも受け継がれている。
こちらのゲームのほうがより「時間制限」に特化したつくりになっており、こちらも非常によく出来ている。






次は「アンドールの伝説」である。





プレイヤーは勇者となり巨大な敵を打ち倒すゲームだ。
きちんとゲームに物語が存在しており、その物語に沿って進めていく。
チュートリアルがあるゲームとしても話題になった作品だ。

こちらはある意味潔いゲームといえよう。

物語があるため、先がどうなるかはわからない。
だから適切な指示も難しく、奉行が発生しにくい作りになっている。

デザイン的にみると「プレイヤーが全員初見プレイ前提」となっているのだ。


とても潔い。

ネタバレする奴は引っ込んでな。というわけである。
全員初見プレイなら奉行も起こらず、全員が一番協力ゲームを楽しめるといえよう。




コミュニケーションそのものを大胆に制限したゲームもある。


代表的なのはこの「HANBI」だろう。





年間ゲーム大賞作品であり、
協力ゲームで初受賞、カードゲームで初受賞であったり、
同人からスタートして上り詰めたりといったいくつもの伝説を持つゲームである。

このゲームは明確にコミュニケーションを制限している。
「自分の手札が見えない状態で自分の手札を把握する」ということに重点を置いたゲームであり、
「他の人の手札のヒントの与え方」がきっちりルールで制御されているのだ。

明確な指示が出来ないため、奉行が発生しようがない。
そういうゲームである。

コミュニケーションを制限する方法は良く使用されているように思う。
最近では「バミューダ」という「息を止めなくてはないけい」というゲームも出てきたほどだ。
息を止めていれば当然会話はできない。完璧なコミュニケーション制限ゲームである。


他にも明確な役割分担を意識した「スペースカデット」や「ミステリウム」など多数の協力ゲームがあり、
協力ゲームにおける奉行問題については一定の回答が出ていると考えられる。

もはや、奉行問題はは過去の問題と言ってしまってもいいのではないかと思う。










そしてこの奉行問題がなりを潜めた後に台頭してきたのが「戦犯問題」である。




戦犯問題とは
協力ゲームにおいて敗北した際に「誰が悪かったのかを決める」行為である。

ボードゲームにおいて、感想戦は普通に行われる行為である。
個人戦であれば「あの時のあの手が悪くて自分が敗北した」となるわけだが、
協力ゲームにおいては「あの時のあの人のプレイが悪くて全員が敗北した」となってしまう。


これはとてもゲームとしての楽しみを奪ってしまう。

「自分のせいで負けた」となったゲームは面白いと思えるだろうか?
他の人に悪いという思いだけが残らないだろうか。
責められていると感じてしまうのではないだろうか。


そしてこと協力ゲームに関しては「感想戦」が非常に重要だったりする。
ゲームデザインとして簡単にクリアできないような作りになっているため、繰り返しプレイが起こりやすいのだ。

となると、2回目のプレイを行う前に当然何が悪かったのかを探すわけである。
気心知れたメンバーであれば問題ないだろうが、そうでない場合、厄介な戦犯探しとなってしまう。


そしてその結果次のプレイでは戦犯にならないために自分でなるべく判断せず、
積極的な発言もせずにおっかなびっくりゲームをプレイすることになる。もはや楽しいとは言えない。



コミュニケーションを制限し、個人を尊重した協力ゲームは奉行問題を制御する代わりに
「戦犯問題」を呼び起こしていしまう。

そしてこの戦犯問題を解決しようと、責任を分散させたとき「奉行問題」が顔を出してくるだろう。



今のところ、私が把握している範囲ではこの「戦犯問題」を解決している協力ゲームは存在していないように思う。



協力ゲームもまだまだ進化途中のゲームジャンルだ。



今後協力ゲームがどうなっていくか、
奉行問題だけでなく、この戦犯問題も併せて注視していこうと思う。











多くのデザイナーによる画期的な解決策を願う。


posted by ボーカーゲームズ at 16:05| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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